エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の十五「雨の名前・・・のお話」

今日は朝から雨が降っています。冬の雨とは明らかに異なる柔らかな温かみを感じさせる春の雨です。このような雨を花や木の生育をうながす春の雨、「催花雨(さいかう)」、 「養花雨(ようかう)」等と呼ぶそうですが、この雨が柔らかな新芽を芽吹かせ、桜をはじめ美しい春の花々を開花させるのですね。聞いただけで春を間近に感じることが出来る情緒溢れる呼び名です。
このように雨をひとつ取っても季節感の有る美しい名前を持つのは日本の文化、感性の素晴らしい部分だと感じずにはいられません。雨の名前は春だけではなく四季折々に様々な名前を持ち、 中には物語や情景を上手く名前に織り込んでいるものも少なくありません。その余りにも美しい名前を題材に歌舞伎や舞踊になっている物も少なくないので、今回はその中の一部をご紹介したいと思います。

「梅若の涙雨」
陰暦3月15日に降る雨のこと。その日は能や舞踊で演じられる「隅田川」の主人公梅若丸の忌日とされており、人買いにかどわかされた我が子を捜し求め、物狂いとなった母が隅田川の畔に辿り着き、 そこで酷い仕打ちの末、幼い命を閉じた梅若丸の運命を知る事となります。母子の絆が引き合わせたのか、奇しくもその日が梅若丸の忌日だったのです。その嘆き悲しむ母のその哀情が雨になったものと されています。

「虎が雨」
陰暦5月28日前後に降る雨のこと。日本三大仇討ちの一つである『曽我兄弟』に由来しています。 その『曽我物語』によると、建久4年(1193年)、曽我十郎と弟の五郎時致(ときむね)は親のかたきで 将軍源頼朝の臣である工藤祐経(すけつね)を、富士の巻き狩りの夜に討ち果たしました。この悲運の兄弟が父を亡くしたのは、 兄5歳、弟3歳の時のこと、 のちに月夜に飛ぶ5羽の雁を見て 「雁さえ親子そろうて飛ぶものを、なぜわれらには父がおわさぬか」と嘆いたといわれます。

さまざまな苦難を経た末、やっと悲願を成就したわけですが、兄はその場で切り殺され、弟もすぐに捕らえられ殺されてしまいました。
仇である工藤祐経を討った兄・十郎祐成が新田四郎忠常に殺された日は激しい雷雨が降ったそうですが、この雨は十郎の愛人、 虎御前が流した涙が雨になったといわれており、十郎との別れを嘆く涙だということで、このかたき討ちが美談となって 謡曲や歌舞伎になって後世にまで伝えられているのです。

「催涙雨(さいるいう)」
 陰暦7月7日の七夕に降る雨のこと。「七夕雨(たなばたあめ)」などとも言われますが、牽牛と織女の逢瀬の後に流す惜別の涙が雨になったとも、一年に一度しか逢えないのに雨が降った為に逢えなくなった悲しみの涙が雨になったともいわれています。

その他にも、舞踊の題材や題名、歌詞になっている雨は「春雨」「花時雨」「夕立」「五月雨」「初時雨」「通り雨」「村雨」等々・・・・。方言なども含めて雨の名前は400以上もあるそうですが、その総てがまるで雨自体が感情を持っているかのように、優しく包み込んでくれたり、寂しがったり、甘えたり、拗ねたり、1つの人格のように生き生きと表現されていることに驚かされます。

春の雨は木々を育て、自然を慈しむ母のような優しい雨。
「催花雨(さいかう)」、「養花雨(ようかう)」「育花雨(いくかう)」、「木の芽雨(このめあめ)」、「甘雨(かんう)」、「膏雨(こうう)」、「草の雨」も山野に萌える草たちに生気を与える春の雨です。

夏の雨は「夕立」代表されるように、からっとしていて男性的な雨。 また、「狐の嫁入り」に代表される天気雨といわれる気儘な女性のような雨も、夏の雨の特徴です。「化雨(ばけあめ)」、「日照雨(そばえ)」、 「天泣(てんきゅう)」などはいずれも日が照っているのに、振り落ちる小雨のこと。「狐の嫁入り」も、晴れているのに、 ぱらぱらと気まぐれに降る雨のことで、花嫁の複雑な心情を見事に雨に読み込んだと言えるでしょう。 また、「時雨(しぐれ)」は冬の雨ですが、青葉の青を付けて、「青時雨(おあしぐれ)」なら初夏の雨になります。 名前を聞くだけで滴るような木々の青さが目の前に浮かびます。

秋の雨は長雨の「秋霖(しゅうりん)」に代表されるように、もの哀しく切ないまるで 恨みがましい女性のすすり泣きの様な雨です。「驟雨(しゅうう)」は本来急に振り出し、間もなく止んでしまう夏のにわか雨ですが、 頭に「秋」を付け「秋驟雨(あきしゅうう)」とすると秋のにわか雨になります。

感情を抑えきれずにわっとばかりに泣き出してしまった女性が、 懸命に感情を飲み込んで泣き止んでいる様な切なさを感じます。頭に秋がつくだけで、 同じにわか雨でもまるでその表情が違って来るのが面白いですね。

冬の雨は「凍雨(とうう)」「寒の雨(かんのあめ)」「氷雨(ひさめ)」など読んで字からも感じる様に、 身体の芯から凍りつかせてしまうかのような冷たい冷たい雨です。又、晩秋から初冬にかけて代表される雨で、 晴れていた空がにわかに暗くなり、はらはらと雨脚軽く降っては止み止んでは降りを繰り返す通り雨「時雨(しぐれ)」がありますが、 この「時雨」は冬に限らず「春時雨」「花時雨」「秋時雨」「霧時雨」「露時雨」「梅時雨」「夏時雨」「初時雨」「小夜時雨」「冬時雨」 「さんさ時雨」「片時雨」「雪時雨」etc…など四季を通じて数多くの表情豊かな名前を持っています。

私の好きな雨は「季(とき)知らずの雨」に分類される「遣らずの雨」です。客や恋人の帰る刻限になると、まるで引き留めるかのように強く振り出す雨、もっと一緒にいたいという気持ちが天に通じたかのように、グッドタイミングで降りだすなんて、何と粋な雨ではありませんか!
 「では、そろそろ・・。」と立ち上がり掛けた時に、降り出す雨。「あら・・・、遣らずの雨ですね。」という一言。その一言にその人に対する思いを込められるなんて素敵です。そしてその言葉に含まれている思いが、相手に伝わったらもっと素敵ですよね。つまりお互いに「遣らずの雨」の意味をわかって会話しているということなのですから。言葉に秘められた思いをお互いが理解して会話できるなんて、ストレートに「好きです。」なんて告白されるよりドキドキしてしまいます。
 日本語の中にはその言葉の奥に素敵な意味が隠されている事が多く、それを知ることによってこのドキドキ感の有る会話が可能となるのです。日本人と生まれたからにはこんな思わせ振りな、ドキドキ感の有る情緒豊かな会話をずっと楽しみたいものですね。

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