エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の十「お稽古・・・のお話」

小春日と冬日がランダムに訪れている今日この頃。皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか?
先日、電車に乗っていてこんなことがございました。何気なく乗り合わせた場所が、何とウォークマン等で聞いている音楽の音漏れ洪水状態のまん真ん中でした。 左右サンドイッチ状態で、しかも今までに無く半端でないくらいの音量が漏れておりました。
暫く我慢しておりましたが、前日睡眠が足りなかったせいも有ってか、遂に耐え切れず、変なおばさんだと思われること覚悟で 「済みません、音量下げていただけますか?」とお願いしたところ、その女の子は「済みません・・・」という感じで、すぐに対応してくれました。
これに味を占め次は反対隣の男性。この方はイヤーホーン等という生易しいものではなく、しっかりとしたヘッドホーンの類を装着しており、 それでもこれだけ音漏れしていると言う事はどれほどの大音量で聞いているかは推して知るべし。

案の定、肩をトントンと叩いた私の顔を「は?」という感じで見て、 おもむろにヘッドホーンを外すと私の「済みません、音量下げていただけますか?」の言葉に慌てて、これもまた「済みません・・・」という感じで、 すぐに対応してくれました。
この間男性も女性もお二人とも無言のまま。私としてはかなり勇気を出して言ったつもりで、もしかしたら口答えの1つもされるかなと思っていましたが、 反抗的な態度が全く無かったのは意外でした。
それにしても、自分の部屋以外で全く外部の音が聞こえない状況でよく平気でいられるなと思います。 回りに迷惑が掛かるという事以前に、自分の耳をふさぐと言う行為自体が、どれ程の情報を聞き逃す事に成るのか、 その事の怖さや重要性の方が大事だと思うのですが。まあ今の世の中、聞きたくないこと、見たくないこと、知りたくないことが多過ぎて、 自分の世界を大切にしたい気持ち、分からなくは有りませんが、こういう人は生き残れません。自然淘汰されてしまいます。 やはり生きていく為の最低限必要な情報は五感+第六感でキャッチして行かなければと思います。

さて、先日お稽古場でお弟子さんたちの会話を聞いていて、改めて「稽古」について思ったことがあります。
伝統芸能のお稽古は「月謝」という名の、現代風に言うならば「授業料」を納めて、先生に稽古をつけて頂くわけですが、 これは何分教えて貰って幾らという類の物では無く、稽古場に居る時間は総て勉強として捉えるという考え方が基本になっています。
「人の振り見て我振り直せ」の言葉通り、自分が習っている当事者でいる時よりも、人が教えられているのを見ている第三者でいる時のほうが、 冷静に見られて良く理解が出来る事も事実です。

ご注意を受けることはどの人も殆ど同じことで、これは基本的な事を身に付けるという事が如何に難しいか、またその基本が如何に大切かという事の表れだと思います。 時間の許す限り稽古場に居ることにより、学べること吸収できることは沢山有るのですが其れも本人の心掛け次第。 本人の意識と力量によって、その個人差は大きく現れます。
「やらなければいけない事」と「やってはいけない事」は有るようで無く、無いようで有るという禅問答のような世界です。
例えば稽古の終わった後の稽古場の掃除等も、絶対に「やらなければいけない事」では有りませんし、勿論「やってはいけない事」では無いのです。 本人が「やろう」と思えば掃除をすれば良いですし、やりたくなければしなくても良い、何故「やろう」と思い何故「したくない」と思うのか・・・、 そこにその人、個人個人の学びの資質が見え隠れするのです。

あえて極端な言い方をすると、30分掛けて稽古を付けて貰っている自分以外のお弟子さんの稽古を見ている時間も稽古なら、 やっと自分の順番が廻って来たのに、稽古が始まった途端に先生からその日のコンディションの悪さや、集中力の無さを見通されて「今日の稽古は終わり」と言われ、 その日は稽古場に座っているだけというのも、立派な稽古なのです。そこに含まれている深い大切な意味が理解できるかどうか。 大切な事だと捉える事の出来る感性を持ち合わせているかどうか・・・。この感性の部分がどうも今の社会に欠けているのでは無いかと思えてなりません。
生徒が学校で先生に叱られて廊下に立たされようものなら、授業料を払っているのに授業を受けさせないとは何事だとねじ込んで来る「モンスター・ペアレンツ」等という輩は、 そんな心の機微が理解できないどうしようもない現代人の代表でしょう。そんな親に育てられる子供は災難です。

伝統文化を学ぶ大きな意義として、私はいつもお弟子さん方に言うのです。日本舞踊そのものが上手になる事それはそれで良いこと、 でもそれ以上に大切なことを、学んでいく課程できっと気付くはずなので、それを大切にして欲しいと。
着物を着るだけ、踊りを踊るだけでは無く、その中に存在する先人の納得の知恵や豊かな感性を少しでもお伝えできればと、私も日々勉強中です。

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