エッセイ

廸薫の「タカラジェンヌが日本舞踊家になったわけ」

其の五 「何ぼでも迷惑かけていいんやで・・・のお話」

今年も後僅かとなりました。
先日、千葉県印西市でのワークショップも無事終わり、あとは連日の忘年会が待っている年の瀬でございます。

さて、年末恒例「今年の漢字」が12日、京都清水寺で発表されましたが、何と今年の世相を表す漢字は「偽」・・・。 はがきやインターネットで寄せられた9万816通のうち、約18%の1万6550通が「偽」に集中したそうです。
多くの方々が、今年世の中で起きた様々な「嘘」や「偽り」に失望や怒りを感じた年であったと言わざるを得ませんが、 まるでパンドラーの箱を開けたが如くこれでもかこれでもかと、うんざりするほど、続けさまに「偽」溢れ出し、留めの字が「偽」では本当に救いが無い。
刀の切っ先を突きつけられたようで、何も来年に期待が持てない気が致します。でも其れほどまでに日本は病んでいるということか・・・。 「どげんかせんといかん。」は宮崎だけに限定されたことでは有りませんね。
しかし、この「偽」という文字、よく見ると「人の為」と書くのはどうしたことか?「偽装」は「人の為に装う」ですか???? 嘘は「口に虚しい」で納得ですが、偽りは人の為なのでしょうか?「必要悪」「嘘も方便」とか、そういった類なのでしょうか?

話は変わりますが・・・・。今NHK朝の連続ドラマで「ちりとてちん」という若い女性の落語家内弟子修行の話しが放映されています。 本来あまり連続ドラマというものを見ない私なのですが、今回は「ちりとてちん」「落語」「内弟子」という要素が興味をそそり何となく毎回見ているのです。
今日の話の中で、落語の師匠が一門のドタバタな落語勉強会で一番弟子の落語を聞きながら、 純粋だけがとりえのそそっかしくて出来の悪いその女弟子に言った次の言葉が強く心に残りました。
頼りない弟や妹の為に一生懸命なんや。面白いもんやなぁ。未熟なもんのお陰で成長するやつもおる。何ぼでも迷惑かけていいんやで、あんたは末っ子なんやから。」・・・・。 それを聞いた女弟子は、数々の失敗や、不器用で思った様に上手く行かない自分に対する劣等感やジレンマでカチカチになっていた心が温められ、 新たなエネルギーが生まれてくるというシーンでした。

この優しさ、厳しい中にも感じられる人としての暖かさ。今の日本に信じられないような様々な問題が次々起こってくるのは、 こういった一番大切な思いやりの人間関係が今の社会にも家庭にも欠けているからでは無いの?と思いました。

師匠に限らず、上司、親、政治家等、人を指導していく立場にいる人間の、人としての心の余裕と品格。これは必要不可欠でしょう。

昔から伝統芸能では内弟子を取り、師匠と寝食を共にする所から芸事を学ぶことが多かったようです。 今は内弟子制度を取る師匠は減ってきましたが、現在、通いの内弟子でも稽古場で最初の仕事はお茶入れと掃除です。
宝塚音楽学校の一年目(予科生)の時も9時から始まる授業の前に毎朝一時間以上掛けてやることは、校内中の掃除でした。 たかが「お茶入れと掃除」ですが、されどその「お茶入れと掃除」の中から学ぶことは多く、この事からも芸事は生活の中から様々な事を学び、 其の事柄に対する精神的な在り方が、自分の芸に残酷なほど反映されるのも事実です。

「親子は一世、夫婦は二世、師弟は三世」というそうです。 それだけ、「師弟」関係は因縁が深く特別の関係である事を言い表している言葉ですが、 こういった血縁関係も何も無い赤の他人を肉親以上に結び付けてしまう芸事の考え方の奥深さを、今の世の中に反映させることは出来ないでしょうか?

「偽」は良くないこと「嘘」も「悪」人として許されないことと私共は教わってきました。でも昨今の重箱の隅を突く様な報道のあり方はどうでしょう。 人間良い時ばかりじゃない。生きている年数が長ければ長いほど、人から触れられてたくない事柄の、一つや二つは有る筈です。
「人の為」と書く「偽」、「人の為に装う=偽装」「必要悪」「嘘も方便」等々、昔の人々の生活の中から出てきた言葉の知恵は、 現代の人間の感性では理解できない深いところにあるのかも知れません。

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